大人と言うより中年になって発達障害の検査を受けた結果を聞いて感じた事

中年になってから、初めての発達障害の検査を受けました。発達障害の検査を受けてから1ヶ月くらいにしてから結果が出ました。
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検査結果を聞いてから、色々と考えさせられることがありました。
発達障害の検査を受けた時の様子も書きました。
発達障害の検査の結果
発達障害の検査結果は発達障害を専門としている担当医の先生から、診断結果のレポート、ワーキングメモリについて口頭で説明されました。
ワーキングメモリ(Working Memory)とは認知心理学において、情報を一時的に保ちながら操作するための構造や過程を指す構成概念である。作業記憶、作動記憶とも呼ばれる。ワーキングメモリの構造や脳の関連部位を調べる研究が多数行われている。一般には、前頭皮質、頭頂皮質、前帯状皮質、および大脳基底核の一部がワーキングメモリに関与すると考えられている。
レポートのワーキングメモリについて数値部分を書きますと、
不注意、記憶の問題 89/100
多動性、落ち着きのなさ 80/100
衝動性、情緒不安定 85/100
これらの数値の標準が70みたいですが、基準より高く、ADHDの傾向が高いとの検査結果でした。
続いて、AQは48/50でした。
発達障害の傾向が非常に高いとの検査結果でした。
言語性検査、動作性検査は全体的に平均以下でした。
FIQ全検査86
VIQ言語性85
PIQ動作性90
VC言語理解81(平均以下)
PO知覚統合88(平均以下)
WM作業記憶91(平均)
PS処理速度83(平均以下)
平均は作業記憶だけでした。短時間の記憶力、操作力とのことでした。
僕は、うつ病、精神障害者2級になってしまっていることもあり、担当医の先生からは、

発達障害より先に、うつ病の治療を優先した方がいいでしょう。

うつ病だから、発達障害の結果に影響が出ているかも知れません。
とのことでした。
終わってから、発達障害の傾向が非常に高いこと、ADHDの傾向が高いと言われて、自分の中ではショックでした。うつ病に加えて、発達障害の傾向が非常に高い、ADHDの傾向が高いと言われて、

(小学生時代から、時が止まっている感覚、成長を実感できない感覚の謎は、発達障害、だったり、ADHDが原因だったからか・・・)
と発達障害の検査結果を知ってから、自覚してしまうようになりました。発達障害の検査を受けなかったら、謎のままで、過ごせていたかも知れません。
開けてはいけない箱、知る必要のない現実、知らない方がよかった結果を知ってしまったような気がしました。
発達障害のことは、母親にも、周りの誰にも言っていません。自分の精神的な病気が、また一つ増えてしまいました。
発達障害の傾向が非常に高い、ADHDの傾向が高いとの検査結果を聞いてから感じたこと、その心当たり
時が止まったような感覚を感じてしまうようになったのは、小学生時代に両親が離婚してからでした。いつも、夜8時くらいになったら、父親が仕事から帰ってくるのを玄関から迎えるのが、僕の楽しみでした。
父親がいること、帰ってくることで安心感を得ていました。しかし、離婚した翌日から、当然ながら父親は帰ってきません。
いつも、明るかった玄関が何だか暗い玄関に変わっていきました。まるで、永遠に開くことがない玄関になったかのようでした。
その後、父親がいつまで経っても帰ってこない現実を受け入れられないせいか、
夜になると、
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死にたい!死にたい!!死ぬ!!!
と、叫びながら、家の壁に頭を何度も打ち付けていました。
母親が見るに見かねて、離婚した父親に連絡をして、1ヶ月に1回だけ僕は父親と二人で会うようになりました。
会っている時間は、朝から夕方近くまででした。
一緒に、デパートを散歩したり、弁当を買って食事をしたり、一緒にキャッチボールをしたりしていました。父親と別れる時は、いつもお小遣いをくれていました。
父親と1ヶ月に1回会うようになってから、家の壁に頭を何度も打ち付ける発作のようなものはなくなりました。
ただ、玄関は暗いままです。
離婚して、父親が出て行った日から、いつまでも、父親の帰りを待っているような感覚を、転居先でも、今でも、待ち続けてしまっています。帰ってくる可能性は100%ありえないのがわかっているのに、脳の思考が悲しい、さみしい感情と共に、そのように植えつけられてしまっています。
時が止まったような感覚、発達できない感覚、成長できない感覚、ADHDの傾向が高いと言うのは、小学生時代から、この感覚が成長できず、止まってしまっているからかも知れません。
父親の帰りをいつまでも待っている小学生時代から、僕の中ですべてが止まっている、身体は成長して衰えていくも、脳は成長が止まったままと言う状態です。
また、父親が出て行ってから、生きていることに自信がなくなってしまったせいか、いつも声のボリュームが少ないのです。
友達からも、知り合いからも、店員からも、誰からも

えっ?

なんて?

なんですか?

聞こえない

もう一度
と、こういうやり取りを誰ともし続けてきました。特に、学校や職場では、

声が小さい!もっと大きな声で話するように!
と、何度も何度も注意を受け続けてきました。しかし、大きな声で話すことがいつまで経ってもできません。どうしても、大きな声が出ないのです。
小学生から学年が上がるごとに、緊張し続けるようになりました。学校で学ぶことの意欲が停止してしまいました。そして、だんだん学校の授業についていけなくなりました。
友達と遊ぶこともできなくなりました。友達と一緒に遊ぶ時は、必ずテレビゲームがないと一緒に過ごせなくなりました。テレビゲームをしているときだけ、何もかも忘れて、ゲームを楽しむことができるようになりました。友達は、ゲーム友達しかできなくなりました。
自分から、人に声をかけることができなくなりました。学校では、友達と一緒に過ごすことができず、いつも孤立していました。学校では、ゲーム友達と会うと、ゲームの話はできますが、それ以外の話がまったくできませんでした。ゲームの話が終わると、会話が止まっていました。
ゲームに興味のない人とはお話することができませんでした。話しかけられても、話せることがないので、すぐに飽きられてしまいました。当然ながら、集団行動ができませんでした。
集団行動は、苦痛以外の何物でもありませんでした。周りからは、おかしな人と思われているのではないかという恐怖に縛られていました。
学校の成績表にはいつも、

すべてのことに消極的である
と指摘されていました。意欲も何も出てこないので、どうしようもありませんでした。
これからの人生、発達障害、ADHD、そして、うつ病を抱えたまま、いつまでも父親の帰りを待ち続ける呪縛に閉じ込められ、続けてしまう人生を送っていくことになりそうです。
本当は、父親の帰りなんて、もう絶対にないことを脳が理解してくれるのを待つしかなさそうです。
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多分、小さい頃からの積み重ねなんでしょうね。専門家ではないので言いきれませんが、鬱の方が強く出ているのではないかと感じます。
私の周りに、統合失調症の友人がいました。小さい頃からの親の愛情の掛け方が他の兄弟と違い、友人だけ両親から愛情を受けられなかったんです。学生の頃は大人しい子程度に思っていましたが、大人になって再会して、遊ぶ様になってからはとにかく大声で話す子でしたね。
親に甘えられなかった分、周りは甘える子でしたね。とにかく一人でいられない子で、私はその友人に対して鬱陶しさを感じていました。
友人とは違い、どちらかというと一人の方が好きというか、楽なんです。
そのせいか、ずいぶん友人には冷たくしてしまいました。その友人が先日、病気で他界しました。入院先の病室から電話をかけてくれたのですが、私は彼女がまた同じ話をされるのかと思い、電話に出ませんでした。忙しいから電話に出れないよとメールをしたのが最後になってしまいました。
友人が他界したことを聞かされ、私の中で色々悔やみました。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、謝罪の手紙を友人の棺の中に入れてもらいました。
なんとなく今思えば、友人も発達障害の気はあったかも知れません。心療内科の薬の影響もあってか、ろれつが回らない事もありましたけど、落ち着きもない子でしたから。
もし、仮にそうだったとしても、私は彼女の個性なんだと思っています。
だから、大福さんも気にする事はないと思います。ショックだったとは思いますけどご自分の個性と上手に付き合う事も大切ですよ^-^
私も良く小さい頃、学生の頃は声が小さいと注意されていました。発言することに自信がなかったのかもしれません。未だに他人の顔色や、態度を見ながら人と話す部分があるので、正直、そこは自分で嫌な部分でもあります。大人だから当たり前の事なのかも知れませんが、結構ストレスです。
私の場合、兄ですね。兄がすごくワガママですごく短気な人なので、何かあるとすぐに怒鳴る人だから、そういうのが自分の中でトラウマになっているんでしょうね。
友人の方に、まろんさんの気持ちは届いていると思います。向こうの世界からまろんさんの事を見守っていただいているのではないでしょうか^^
小さいころからの積み重ねって、簡単に解決できる問題ではないですよね・・
発達障害の検査結果は、自分の個性だと思って、時間と共にちょっとずつ整理できればと思います。
すごく似ていますね・・・。
僕も、他人の顔色、態度を基準に行動しているので、非常に狭苦しく、生き心地悪いです。
トラウマになってしまうと、環境が変わらない限り、どうしようもないですよね・・・。
僕は、母親と別居するようになってから、ちょっとだけ心身の疲労はマシな日があります。
けど、環境が変わっても、過去の蓄積されてきたトラウマを引きずっている感じですし、生きづらさは変わらないですね。
家庭関係のトラウマって、他人のトラウマより根強いものかも知れませんね・・・。