不食

不食という生き方の本、免疫力アップ、若返り、長寿について読んでみた


正社員で働いている最中、うつ病になって、自己破産することになって、食欲不振になって、菓子パンばかり食べる日々が続いています。このような食生活を続けてしまったら、どうなってしまうのか不安になって図書館で見つけた本が「不食という生き方」です。

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著書の秋山佳胤さんは、2008年ロータス特許事務所設立と書いています。また弁護士であり、医学博士の肩書きをお持ちだと書いていて、思わず本を借りて読んでみることにしました。

 

不食と言う言葉は聞いたことありませんが、食べる必要がないと言う意味なのかな?って、思ったり、実は食べる必要はないのか?とか、いろいろな疑問が浮かびました。そんな「不食という生き方」の本を読んだ中から、感想などを書いてみようと感じました。

不食とは・・・

不食と断食は違う

 

不食の大先輩であるジャスムヒーンさんから教えられたこと

それは「自分の欲求を大切にする」ということでした。
食べたいなら適度に食べる、食べたくないなら適度に食べない。食欲には私たちの本質がでますので、それは素直に従うというわけです。

 

中略

 

断食は無理に食欲を無理に抑えつけるやり方です。
健康面で緊急事態が迫っているのならまだしも、そうでない場合、苦しいことを自分に強いる必要はありません。我慢は得策ではないのです。人は緊張すればするほど、食べ物の摂取量が増えます。ストレスがたまるとあれこれ食べたくなりますが、過食はストレスを紛らわせるための代償行為です。でも食べすぎると消化不良を起こし、体に負担がかかります。

 

引用元:秋山 佳胤. 不食という生き方. 幻冬舎, 2016, 172P

 

不食の大先輩は、すでにいらっしゃったのですね。「自分の欲求を大切にする」のが大切だと言う考え、実に共感できました。

 

今まで欲求を同居していた母親に止められて、働く場所、職業まで、指定されて生きてきて、欲求に逆らって生きてきました。また、食事は母親が朝、昼、夜と作る食事しか、ほとんど食べることはありませんでした。

 

食事量が多い時もありました。そういう時も、もったいないから食べるように言われたりしてきました。

 

うつ病になって、40代になって、一人暮らしをして、自己破産の手続きをするようになって、ほとんど食べる気力がなく、食べれるとしたら、菓子パンくらいになっていました。

 

とんでもない偏食だと感じていましたが、この菓子パンを食べる行為自体が、また、秋山佳胤さんが書かれている「食べたいなら適度に食べる、食べたくないなら適度に食べない。食欲には私たちの本質がでますので、それは素直に従うというわけです。」という事なのだと感じました。

 

母親と別居することで、自分の本質が素直に出ているのだと感じました。精神内科の担当医からは、菓子パンだけだと健康に悪影響だからコンビニのサラダとか買って食べなさいと指導されました。その後は、カット野菜ばかりを食べるようになりました。僕は誰かにアドバイスをいただけないと軌道修正できない人間になってしまっているのだと感じました。

小食でもいい・・・?

小食で若返り、長寿が手に入る

 

小食、つまり食べる量を少なくすると、主に三つのメリットがあります。

 

①免疫力がアップする
②若返る
③寿命が延びる

 

先端医療の研究者たちは、すでにこの事実に気づいています。
そもそも人間の体は、過食に耐えられるようにできていません。その逆に、ある程度の飢餓には耐えれるようにできています。遭難者が長期間生きていて奇跡だと言われることがありますが、これもそんな理由からで、飢餓に耐えるという機能は肉体の進化そのものです。

 

引用元:秋山 佳胤. 不食という生き方. 幻冬舎, 2016, 172P

 

母親と同居していた頃は、お腹いっぱいに食べていました。お腹いっぱい食べることが当たり前だと思っていました。しかし、食べた後は、横になりたくなったり、すぐに眠くなってしまって、寝てしまったりしていました。また、食事の量が多いので早く食べる習慣がついてしまいました。

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周りの方々からは、「早く食べるのは身体によくない」とか「腹八分目がいい」とか色々言われました。

 

母親の食事を食べなくなって、すっかり小食になりました。小食になったと言うより食べる意欲がないのです。菓子パンを食べる程度です。たまに、カップラーメンを食べたりと、よく言えば小食です。

 

その小食が、「①免疫力がアップする ②若返る ③寿命が延びる」につながるとは、思いもしませんでした。先ほど秋山佳胤さんが書かれていた「自分の欲求を大切にする」の欲求を大切にしてみようと感じました。

食べ物を残すのはもったいないからと、出される食べ物は、無茶してすべて食べてきた、過食気味だったと振り返る

過食は心の飢えが原因だった

 

食べるという行為は「遺物を自己物に転換する」行為です。
異物を人体に同化する作業、それが食事です。
人体細胞への転換をする作業というわけですが、その作業には膨大なエネルギーが必要とされます。
つまりエネルギーが大きければ大きいほど、体内の他のエネルギー、例えば免疫力(治癒力の向上)に関するエネルギーはそちらに持って行かれます。
誤解を恐れずに言えば、私たちが食べれば食べるほど、肉体の快適性を保つために必要なエネルギーが「食べる作業」へと使われてしまい、体内のエネルギー・バランスが崩れるのです。私自身が経験してよくわかりました。

 

中略

 

過食は本来の自分を見失ってしまった状態です。
体が本当に飢えているのではありません。さまざまな理由でストレスがたまってしまい、感情が乱れることで脳が「もっと食べろ」と信号を出すわけですが、この場合の食事は疑似的に補っている代償行為なのです。心に満足感があれば、もっと食べろと脳が信号を出すことはありません。
心の満足感を得るには「やりたいことをやる」のがベストです。
体を動かし、人と交流し、考えたりしていると、普通は過食になりません。

 

中略

 

食べる量を減らすだけで、私たちは地球に貢献できます。
自然界をご覧ください。過食の動物はいません。

 

引用元:秋山 佳胤. 不食という生き方. 幻冬舎, 2016, 172P

 

母親と同居していた頃は、お腹いっぱいに食べていたので、過食気味ではないかと感じるほどでした。食事が終わったかと思ったら、果物が出てきたり、パンが出てきたりして、僕は、お腹いっぱいでも、食べないともったいないと思い込んでいたので、母親から出されていたすべての食事を残さず食べ続けてきました。

 

ところが秋山佳胤さんは、「過食は本来の自分を見失ってしまった状態です。体が本当に飢えているのではありません。さまざまな理由でストレスがたまってしまい、感情が乱れることで脳が「もっと食べろ」と信号を出すわけですが、この場合の食事は疑似的に補っている代償行為なのです。心に満足感があれば、もっと食べろと脳が信号を出すことはありません。」と書かれています。

 

過食しているつもりではありませんでしたが、食べることがストレスを感じていたことがよくありました。もう食べたくないのに、まだ食べないといけないの・・・?とか、心の声を感じたことが何度もありました。過食気味だったのですね。そして、秋山佳胤さんは、「食べる量を減らすだけで、私たちは地球に貢献できます。自然界をご覧ください。過食の動物はいません。」と書かれています。

 

よくよく考えたら、僕が食品の販売職ではたらいていた頃、店が閉店になったあとにする仕事が、賞味期限が過ぎた食べ物をかき集めて、ゴミ袋に詰めることでした。僕は、毎回、「まだ食べれるのに、もったいない・・・」と、美味しそうなお寿司とか、惣菜とかも、賞味期限が終わるからという理由で廃棄し続けてきた思い出があります。

 

人間の人数に対して適正な食べ物量が供給されている世の中になったら、「食べる量を減らすだけで、私たちは地球に貢献できます。」につながるように感じました。毎回、食べ物を作り過ぎているのは、どうにもならないことなのでしょうか?食べ物の廃棄を止める方法はないのでしょうか?いつも、食べ物を廃棄させられる仕事をしていた時が、一番苦痛な仕事でした。

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