うつ病になってから、死の恐怖に怯えることが増えてしまった

最初に、死の恐怖に怯えたことは、うつ病になって、3ヶ月くらいしてからでした。今でも鮮明に覚えています。横になってクラシック音楽を聴いている最中に、急激な動悸に襲われてしまい、心臓がバクバク、ドキドキして、息苦しくなってきました。
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そして、「もう、死ぬ!今日、死ぬ!」って、人生で初めて、この世から自分が消えてしまうと感じてしまいました。
死の恐怖に襲われてしまい、道路でうずくまってしまう
死に勝る不安なんてない
前略
僕にとって一番恐れるものは「死」だ。これほどまでに恐怖を感じさせるものはない。死は太古の時代から人間にとっての永遠のテーマであり、恐れられてきた。死を考えることは、あらゆる物事の根源なのだ。
僕の中には死というものが深く根付いていて、死の恐怖を克服することこそが、僕が生きていくうえでの最大のテーマになっている。
中略
今でも死の怖さがまったくないとは言わないが、できるだけ考えないような仕組みは見つけることができた。それは、単純なことのように思えるかもしれないが、死を考えない習慣づけをしていくことである。そのためには、忙しくすることが一番の解決策で、とにかく死のことを考える余裕を作らないのだ。
暇だから、不安という余計なことを考えてしまう。そんな無駄なことを考える余裕を自分に対して与えないために、僕はのんびりすることなんて、基本的にはない。常に前だけを見て突き進んでいる。
中略
仕事でも勉強でも人と会うことでもいい。とにかくいろいろと詰め込んで、忙しく頭を使う。
それが不安に対する一番の解決策だ。何かに没頭して取り組むことで、不安なんて考えずに済むし、取り組んだことは必ず自分の成長となって表れてくるはずだ。
引用元:堀江 貴文. 夢を叶える「打ち出の小槌」. 青志社, 2019, 232P
このままだと本当に、あの世に行きそうな感覚になったので、とにかく外に出て、深呼吸を繰り返しました。しかし、動悸は収まりませんでした。
「もう、死ぬ・・・、死ぬのが恐い・・・。もう、この世に必要なくなったのか・・・。」
夜の空を見て、自分の意識が身体から抜けていくような感覚をしてしまって、このまま意識が遠のいてしまうのではないかと、感じてしまいました。あまりにも、部屋から急いで、出ていく時に、玄関で
「死んでしまう!!」
と、叫びながら、出ていったので、同居していた母親は心配してか、道路でうずくまっているのを見て、
「どうしたの??」
「なにがあったの??」
と、声を掛けられました。
母親を抱きしめたのは、いったい何年振りだろうか・・・
いても経ってもいられず、とにかく、母親を抱きしめて、
「死ぬ・・・、死ぬ・・・、死にそう・・・、動悸がして、もう、しんどい・・・、今日、死にそう、今日、死にたくない・・・」
と、必死になって母親を抱きしめながら、死に怯えながら、母親に言い続けました。母親は、とにかく慌てたのか、背中をさすり続けてくれました。そして、
「救急車を呼んでほしい!」
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「もう、耐えられない!」
「このままだと死にそう!」
と、必死になって、意識が遠のく中、動悸に襲われて、母親に言い続けました。しばらく、道路で母親を抱きしめながら、時には、うずくまって、必死になって
「生きたい!」
「生き続けたい!」
「死にたくない!」
と、必死になって自分に言い聞かせました。しばらく、うずくまっていると、だんだん、少しだけ動悸がおさまってきて、だんだん死の恐怖が、遠のいていきました。
死の恐怖から、大量の汗、手足の痙攣に襲われてしまい、水分をひたすら飲んだ
ところが、その日の夜、手足が痙攣してしまい、上半身から汗がびっしょりにかいてしまい、また、死の恐怖を感じるようになりました。精神内科から処方された睡眠薬を飲んでも、あまり効かず、眠れませんでした。
睡眠薬を飲んだのに、1時間くらいしか、眠れませんでした。そのあと、深夜の2時、3時、4時、5時と、全身の汗が止まらず、手足が痙攣して、
「これは、死の前兆なのか・・・」
と、布団の中で死の恐怖に怯え続けました。
早朝になって、母親が起きてきて、
「コンビニでも、どこでもいいから、スポーツドリンクとウィダーインゼリーを出来るだけ、たくさん買ってきてほしい」
とお願いしました。
そして、母親は、スポーツドリンクの2リットルを二本、ウィダーインゼリー3個くらい購入して帰ってきました。
とにかく一心不乱でスポーツドリンクを大量に飲んで、ウィダーインゼリー3個、全部消化しました。すると、しばらくしてから、だんだんと収まってきました。夜中に何度も救急車を呼ぼうと思い続けましたが、その心配がだんだんと遠のいていきました。
そして、死の恐怖がだんだんと、遠のいていくような感覚になり、生きることができると、感じることができました。
記事を書き続けているのは、死の恐怖からの回避のため?
その後も、うつ病の薬を飲み忘れた時は、しばらくすると、手足がしびれてきて、死の恐怖に怯えるようになってしまう体質になってしまいました。精神内科から処方される、うつ病の薬が欠かせなくなりました。
堀江貴文さんは「今でも死の怖さがまったくないとは言わないが、できるだけ考えないような仕組みは見つけることができた。それは、単純なことのように思えるかもしれないが、死を考えない習慣づけをしていくことである。そのためには、忙しくすることが一番の解決策で、とにかく死のことを考える余裕を作らないのだ。」と書いてくれています。
うつ病になってから、自宅待機状態になって、ほとんど引きこもりになりました。今まで、借金を返済するために、必死になって働き続けてきました。自宅でも仕事のマニュアルを作ったりして、暇な時間は、ほとんどありませんでした。
今は、記事を書いている時間が、物事に没頭している時間となって、死の恐怖から遠のくようになりました。そういったこともあって、記事を書き続けていることをしているのかも知れません。借金の暗いことを書いてばかりの記事が多いですが、生き続けるためにも、これからも、続けることが可能な限り、記事を書き続けていきたいです。
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