給料日が楽しみじゃない年月を送っていた

給料日は楽しみじゃない状態でした。社会人になってから、同居していた母親に給料が振込される銀行口座とキャッシュカードを取り上げられたからです。何度も抗議をしましたが、まったく返してくれませんでした・・・。
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そして、給料日になったら5000円しか母親から手渡しで支給されるだけでした。
毎月の5000円の使い道は、死んでいました・・・
社会人になって5000円のお金しか手元にない状態だったので非常にツラかったです。会社の人からの飲みに誘われる事も何度も断りました。
5000円しかなかったので、1回の飲み会で5000円以上、使うことになったら、後がないからです・・・。5000円の使い道は、タバコ代、缶コーヒー代、たまに、お菓子を買っていた分で消えていきました。
当時は、憂さ晴らしでタバコを吸っていました。缶コーヒーは毎回ではありません。たまに、タバコをたくさん吸いたい時に、缶コーヒーを飲んでいました。お菓子は元々、甘いものが好きだったので、スナック菓子だったり、ビスケット類を買って食べていました。
毎月5000円しかもらえず、貯金もない社会人生活の日々・・・
会社のお昼休みの食事は母親の手料理である弁当でした。会社ではマザコン扱いされていました。職場の人たちは外食だったりコンビニ弁当を食べていたからです。
僕は、朝、昼。夜と母親の手料理だけしか食べることがありませんでした。5000円しか支給されなかったので外食をしようとする気持ちはまったく湧くことはありませんでした。
会社の往復をするくらいでした。どこにも寄り道することはありませんでした。会社の帰りに寄り道するとしたら、自宅近くの誰もいない廃工場に行って、タバコと缶コーヒーを飲みながら、夜の空を眺めながらタバコの煙をくぐらせていたくらいです。そうして、お金のない貯金もない虚しい社会人生活を送り続けてきました。
親名義の住宅ローンの支払に僕の給料を勝手に使われ続けていた・・・
給料日になったら職場の人たちはすごく喜びますが、僕は、冷めた気持ちで給料日を迎えていました。冷めた気持ちで給料明細書を受け取っていました。このようなに給料日は楽しみじゃない状態をずっと過ごし続けてきました。
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毎月5000円しかもらえなかったら、貯金すらできませんでしたから・・・。一生懸命働いても、手抜きをしても、給料日になったら5000円しかもらえないので、働くのがとても嫌気がさしていました。
社会人になったら、会社近くの賃貸アパートに住むのが理想だったのに・・・。母親に給料が振込される口座を取り上げられて一瞬にして一人暮らしをする目標が崩れ去りました。母親によって僕の人生は閉ざされてしまいました。
母親を毒親呼ばわりしたくありませんが、社会人になって5000円しかもらえない人生を歩むようになって、お金に飢えて仕方ありませんでした。
本当だったら、5000円の何十倍のお金を稼いでいるのに・・・。給料日になったら手元に入るお金が5000円だとさすがに、何もできない・・・。社会人になりたての頃は借金していませんでしたが、両親の住宅ローンの支払を僕の給料を勝手に使って支払っていました。実質、僕は両親の住宅ローンを背負わされたのと同じ状態でした。
若い時の苦労を買わされていた・・・?
働くのがバカバカしくなってきたり・・・。
生きているのがバカバカしくなってきたり・・・。
母親と同居しているのがバカバカしくなってきたり・・・。
いろんなネガティブな感情が育ってきたのは社会人になってからでした。このころからうつ病の兆候が出てきていたのかも知れません・・・。振り返ってみるとそのように感じてしまいます。
給料日は楽しみじゃない・・・。
今はうつ病になってしまって、借金漬けになってしまって、滞納して自己破産をしてしまった状態で一人暮らしすることになってしまって、働けなくなってしまって・・・。どうしようもない人生を歩むことになってしまいました。再起できるのか・・・。生きていていいことがあるのか・・・もう、人生ってなんなのか、わかりません・・・。
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